母が亡くなって何年になるのだろう。
それほどの過去になくなりました。
母を語るには私の過去に触れなければなりません。
以前一度だけブログにUPしましたが閲覧者は一人だけ。
誰も知らないと思います。
当時のブログはこれ。
http://ameblo.jp/x9phz5p6/entry-11456528739.html
私の今にちはここがスタートになります。
母は大正7年の生まれで父は明治39年生まれです。
私は昭和31年生まれですから
私は父が50歳すぎの子供になります。
私の兄弟は五人だったときいていますが、
今となっては確認のしようがありません。
なぜなら
私が物心付くころは男兄弟三人しかいなかったからです。
酒乱の父でしたが体が弱ってからの事。
一番上に女の子が、そして、私の下にも女の子がいたそうです。
我が家の家系は、小さい時は女の子は育たず、
育てば長命だと言われたのを覚えています。
結局、生き残ったのは男兄弟のみ。
そして男系は短命だと・・・
現に、結果論ですが、父の姉は103歳で亡くなっています。
しかも、78歳の時に胃がんで手術をしましたが、
手遅れで摘出手術を断念したほどです。
それでも103歳まで寿命を頂きました。
薬を飲む訳でないし、寝込んでいる訳でもありません。
ただ養命酒をこよなく愛していた記憶があります。
効果はあくまで疑問ですが、
この歳まで生きたのは事実です。
ただ信仰心がとても強く、
口癖は『今日も生きらせてもらった、
人間の寿命は神様が決めるんだ』
その通り寿命を全うして亡くなりました。
もう一人、父の妹も同じく長命の人生を全う。
叔母の亡くなった日が2011年3月11日と言うのも
意味が感じられました。
皆さんご存じの3.11震災の日なんですね。
叔母は、享年102歳で亡くなりましたが、
自分の子供に恵まれず、
最終は私の長兄がお見送りをしました。
誰も身内が居ない状態で、自分の事を覚え欲しい。
忘れて欲しくない。
それは、あの大震災に亡くなったのも、
忘れて欲しく無かったからではないのか。
この様に考えるのは異常な事なのでしょうか。
命を頂いた三兄弟ですが、
これは短命の運命を背負うことになります。
父は数え年65歳で亡くなりました。
私のすぐ上の兄は52歳での旅立ちでした。
私の母は命こそほどほど頂きましたが、
父が亡くなって三年目に脳梗塞で寝たきりの状態になりました。
その後、数回の発作の末、完全不随に陥りました。
25年間首から下が動かない状態になり
とても辛い思いをしたと思います。
長兄も縁があって結婚しましたが、
嫁さんも苦労した事でしょう。
長兄も父の亡くなった歳に近づくに連れ
準備を始めているそうです。
特に何か病気が見つかったのがショックらしいのですが、
私たちに言わないので全くわかりません。
でも、相続問題を回避する様には考えているようです。
幸い従兄弟がその関係の仕事をしていますから
抜かりはないものと思っています。
人は自分の力で生きていると思いがちですが、
生かされている事を知らなければなりません。
そして人は互いに支え合って生きるのが本当なのです。
母と父の関係は完全には理解できませんが、
母は苦労の連続だったのは理解出来ます。
父はかっこよく言えば自営業ですが、
逆の見方をすれば、その日暮らしの自由人。
雨が降れば仕事は休み。
朝から焼酎で友人と酒盛りの状態。
背中に入れ墨している客人がいたのが記憶にあります。
戦争もありましたしね・・・
明日実家の墓参りに行ってきます。
このブログは前日に書いていますので
明日になっていますがお許しを・・・
今日のマスターの呟きは
母の命日は一昨日かでした。
最後までお読み頂きありがとうございます。
明日も良い事があります様に。
それほどの過去になくなりました。
母を語るには私の過去に触れなければなりません。
以前一度だけブログにUPしましたが閲覧者は一人だけ。
誰も知らないと思います。
当時のブログはこれ。
http://ameblo.jp/x9phz5p6/entry-11456528739.html
私の今にちはここがスタートになります。
母は大正7年の生まれで父は明治39年生まれです。
私は昭和31年生まれですから
私は父が50歳すぎの子供になります。
私の兄弟は五人だったときいていますが、
今となっては確認のしようがありません。
なぜなら
私が物心付くころは男兄弟三人しかいなかったからです。
酒乱の父でしたが体が弱ってからの事。
一番上に女の子が、そして、私の下にも女の子がいたそうです。
我が家の家系は、小さい時は女の子は育たず、
育てば長命だと言われたのを覚えています。
結局、生き残ったのは男兄弟のみ。
そして男系は短命だと・・・
現に、結果論ですが、父の姉は103歳で亡くなっています。
しかも、78歳の時に胃がんで手術をしましたが、
手遅れで摘出手術を断念したほどです。
それでも103歳まで寿命を頂きました。
薬を飲む訳でないし、寝込んでいる訳でもありません。
ただ養命酒をこよなく愛していた記憶があります。
効果はあくまで疑問ですが、
この歳まで生きたのは事実です。
ただ信仰心がとても強く、
口癖は『今日も生きらせてもらった、
人間の寿命は神様が決めるんだ』
その通り寿命を全うして亡くなりました。
もう一人、父の妹も同じく長命の人生を全う。
叔母の亡くなった日が2011年3月11日と言うのも
意味が感じられました。
皆さんご存じの3.11震災の日なんですね。
叔母は、享年102歳で亡くなりましたが、
自分の子供に恵まれず、
最終は私の長兄がお見送りをしました。
誰も身内が居ない状態で、自分の事を覚え欲しい。
忘れて欲しくない。
それは、あの大震災に亡くなったのも、
忘れて欲しく無かったからではないのか。
この様に考えるのは異常な事なのでしょうか。
命を頂いた三兄弟ですが、
これは短命の運命を背負うことになります。
父は数え年65歳で亡くなりました。
私のすぐ上の兄は52歳での旅立ちでした。
私の母は命こそほどほど頂きましたが、
父が亡くなって三年目に脳梗塞で寝たきりの状態になりました。
その後、数回の発作の末、完全不随に陥りました。
25年間首から下が動かない状態になり
とても辛い思いをしたと思います。
長兄も縁があって結婚しましたが、
嫁さんも苦労した事でしょう。
長兄も父の亡くなった歳に近づくに連れ
準備を始めているそうです。
特に何か病気が見つかったのがショックらしいのですが、
私たちに言わないので全くわかりません。
でも、相続問題を回避する様には考えているようです。
幸い従兄弟がその関係の仕事をしていますから
抜かりはないものと思っています。
人は自分の力で生きていると思いがちですが、
生かされている事を知らなければなりません。
そして人は互いに支え合って生きるのが本当なのです。
母と父の関係は完全には理解できませんが、
母は苦労の連続だったのは理解出来ます。
父はかっこよく言えば自営業ですが、
逆の見方をすれば、その日暮らしの自由人。
雨が降れば仕事は休み。
朝から焼酎で友人と酒盛りの状態。
背中に入れ墨している客人がいたのが記憶にあります。
戦争もありましたしね・・・
明日実家の墓参りに行ってきます。
このブログは前日に書いていますので
明日になっていますがお許しを・・・
今日のマスターの呟きは
母の命日は一昨日かでした。
最後までお読み頂きありがとうございます。
明日も良い事があります様に。

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